10月の経営方針共有勉強会
≪ 恩 ≫
・・・・・・・・・・有賀泰治
1、世代を越えて「恩」を送る
・・・・・倫理法人会資料
純粋理論に基づいた経営は、「本(もと)を忘れない」ということを重視します。その具体的な実践の一つに、墓参りがあります。
精肉店を営むS社長は、後継した店が経営不振に陥りましたが、墓参りと清掃の実践によって亡き父の思いに気づき、感謝の心をとり戻した時、自社の製品がテレビで取り上げられ、それをきっかけに回復しました。
また、多額の赤字を抱えた会社の継承を懇願されたN氏は、毎朝、仏様の前で様々な人の「恩」を思い起こす実践を開始。経営者であった亡き父の真心に触れた時、事業継承を決断し、数億円の赤字を黒字に転換することに成功しました。
これらは誌上で「体験記」として発表された墓参りの実践です。同様の体験は記録されないものも含めれば、数えきれないほどあるでしょう。
それらに共通することは、親、祖先など、先人への思いを好転させた時に、未来へ向かう力を得たという点にあります。
生命の大本である親、祖先を尊ぶ意義について、「ここに倫理がある」より。
・・・うぬぼれをなくし、自利中心の気持ちからくる乱れた心を去り、恩恵に一段と目覚めて、純情の働きを呼び戻すのです・・・
親、祖先の真情に触れた時、人は純情になり、心は清明になります。そこに見えざる親、祖先の「本」の力が自己に流れ込んで、奇跡的な効果さえ現れるのです。
このように、今生きる我々(現存世代)が、過去の存在(過去世代)に対する倫理、すなわち世代間倫理に関わる大事でもあります。
例えば、環境を汚したことを未来世代から訴えられて現在世代の誰かが刑罰を受けることはないのです。未来世代は、現在世代の「徳」と「罪」をただただ一身に背負う存在と言えるでしょう。
実は、この問題を解決するには、逆に過去世代に視点を向けることにあるのです。「先人木を植え、後人その下で憩う」という言葉があります。「人が木陰で休む時、その木を植えてくれた先人の恩を思い、新しい木を未来のために植える」というこの言葉が暗示するのは、世代間の「恩」のリレーの重要性に他なりません。
「恩」を感じる時、世代間で不可視の対話が生まれているのです。
「恩送り」とも言えるこの価値観こそが、地球最大の課題である環境保全活動の根幹に必要なことではないでしょうか。
「本を大切にする」倫理の実践は、自己や会社の繁栄のみならず、国や民族の繁栄、そして地球倫理の実践にも関わっています。今日を無事過ごせたことに感謝し、その思いを明日の働きのエネルギーに換えで、より良い未来を切り拓ていこうではありませんか。
2、幸せと成功を呼び寄せる
・・・・・天明 茂(書籍を参考に抜粋)
人間として最も大事なことは本当の自分を発見することといわれる。自分探しは人によって様々な道があるが、本当の自分は外にあるのではなく先祖から受け継がれた自分の遺伝子や環境因子にあるとわたしは考える。
人は誰でも両親から遺伝子を受け継いで生まれる。両親は祖父母から、祖父母は曽祖父母から同じように遺伝子を受け継いで生まれてくる。また、後天的な資質も幼少期の教育や家庭環境などに大きく影響を受けるから、両親や先祖の中に自分の潜在能力の大半があることになり、これがわかれば本当の自分が分かる。
遺伝子や環境因子として受け継がれた良いものは伸ばし、悪いものは抑えていくことで自分の可能性を最大限に発揮できる幸せや成功を手に入れることもできる。困っている解決策も見出せる。
個体としての生命は有限であるが、その生命の源である遺伝子は祖先から自分へ、そして孫へと受け継がれていく、この連続してやまない生命を “ いのち ” と捉えると、先祖一人ひとりの性格、能力、想い、願いは “ いのち ” に凝縮されている。見方を変えると、代々にわたって受け継がれてきた “ いのち ” は、幸せ情報の詰まったハードデスクといってもいい。
遺伝子研究で世界的に名高い筑波大学の村上和雄先生は、遺伝子の構造と原理が地球上すべての生物に共通しているという不思議さを “ サムシング・グレート ” のなせるワザではないかと推測する。村上先生は「サムシング・グレートの存在は、遺伝子からくる生命の連続性から逆算すれば、それは私たちの親の親の、ずっと上の親のようなもので、自分が少しでも他人の役に立とうとする姿を見れば喜ばないはずがない」といわれる。宇宙の創造主ともいうべきサムシング・グレートとは、 “ いのち ” を遡ったところの先祖であり、この大本の先祖が私たちを応援してくれるのである。
村上先生は「サムシング・グレートがスイッチ・ONすると、自分の遺伝子がスイッチ・ONする」ともいわれる。ただ問題は、サムシング・グレートがいかに応援しようにも、サムシング・グレートと自分の間に「配線」がつながっていないと、自分の遺伝子にまでそれが届かないという点にある。この「配線」は、両親、祖父母、曽祖父母などの親、祖先に関心を持ち、感謝の念を持っているということである。親を恨んだり無関心で感謝のない人は配線が切れているので、サムシング・グレートからのエネルギーは伝わってこない。
どんな親でも子に無限の愛を注いでいる。しかし、子供が一方的に親を無視して離れてしまったら、親は何もしてやることができない。「配線」をつないでおくことは、祖先からのエネルギーを受ける絶対条件なのである。
また、祖先から受け継がれている “ 徳 ” に気づき、讃え、感謝すれば、眠っていた良い遺伝子にスイッチが入り、自分の可能性が最大限に引き出される。
(1)サムシンググレートは
☆ 宇宙の創造主
☆ 「親の親の親の・・・ずっと上の親」
(2)志をもって行動すれば、サムシンググレートが応援しないはずがない
遺伝子のスイッチ・オン
↓
問題は「配線がつながっているか?」
配線 = 親祖先とのつながり
天明 茂氏が家計分析を教わった故薄衣佐吉先生(公認会計士・日本大学教授)は
「家系図は世界でただ一つの、自分だけの教科書」と喝破された恩師の教え、「家系を遡り自分に受け継がれている徳を発見し継承することが人間性を高める最高の方法であり幸せの源泉」という点にある。
家計分析によって、仕事や家庭生活上の問題を解決することができるし、行き詰まった社会も再建できる。
さらに言えば、家計分析は日本創生にも役に立つ。今、日本の若者、中高校生の多くが自信なくしている。
日本青少年研究所の調査によると「自分は価値ある人間だと思う」と回答した割合は、
日本が36%、米国が89%、中国が88%、韓国が75%。
また、「努力すれば大体のことができる」と答えた割合は、
日本が44%、米国が89%、中国が89%、韓国が84%、と中高校生が回答している。
日本の若者がこんなに自信をなくしている原因は家庭、教育様々あろうが、なんといっても大人の後ろ姿を反映していると捉えるのが改善の早道であろう。
大人の社会でも「人と関わりたくない」「干渉されたくない」「自分さえ良ければ」という人が増え「無縁社会」が進んでいるという。それは「利己主義」の蔓延に他ならない。
「人」と言う字は「支え合って生きる」ことを意味するが、無縁社会はこのことを逆行する。これは、戦後における家制度の崩壊と個人主義の誤った浸透が大きな原因である。
結婚したら親と別居、親が年老いたら老人ホームに入れるのが当たり前という希薄化した親子関係が先祖や家系への関心を薄れさせ、先祖から学ぶという心を滅ぼしてしまった。
日本に限らず世界中どこでも親は子供の幸せや成長を願う。親から子へ、子から孫へと育まれる。親があって自分がある。先祖があって今があるという当たり前のことを再認識し、感謝の気持ちを深め、期待に応えようとする心が自分を成長させる。ひいては失われつつある日本の良さや文化を現代に甦らせ、真の日本創生につながるものと信じている。
3、天命 茂さん2時間の講演を一部抜粋
(1)経営力を考える
「経営力」= 「戦略」× 「人間力」 × 「運」
1)戦略 = 社員が成長する。
感動を提供する
会社が発展する
2)人間力 = 人間性 = 他の幸せを願う、思いと行動
3)運 = その人の意思や努力では何ともならない巡り合わせ
(2)、人間力のベースは人間性
1)人間力のベースは人間性
職務能力 = 知識・技術・体力
(頭・腕・体)
能力
人格能力 = 人間性 (心)
2)職務能力に先行する人格能力
3)人間は
・・・「他を想う心と行動」
人間性が高いほど「世のため人のため」
人間性が低いほど「俺が俺が」「自己中心」
(3)、人間のモノサシ
人間性7段階区分 関心・無関心が分岐点
↓ ↓
7段階/感化力/人や世を感化する ・ 崇敬
6段階/包容力/清濁併せのむ ・ 尊敬
5段階/指導力/人を教え導く ・信頼・信用
4段階/開拓力/困難なことに進んで当たる・理解
3段階/自立力/権利義務をわきまえる ・関心
2段階/自立準備/周りのことを多少配慮できる・無関心
1段階/自己中心/自分のことしか考えない ・無理解
・反発・増悪
人間は誰でも生まれたばかりの時の心は自己中心である。暑くても寒くても、お腹がすいても泣くばかりである。他人のために泣くことはなく、ただただ自分のためである。これは発達心理学でいうところの「依存」の段階である。
幼稚園や小学校に上がり友人や先生と交わるようになると、多少とも自他の区別がつくようになる。しかし、まだ依存心が抜けない。そこからだんだん大きるなにつれて自立心が芽生え、成人になると自立力がついてくる。自立力とは自分のことに責任を持つという責任感である。
結婚すると自分のことよりも家族を思いやる気持ちが大きくなり、妻子を養うために自ら困難に立ち向かう開拓力が身についてくる。また社内の人間関係や取引先、お客様との交流を通じて、職場や社会に貢献しようと意識が高まり、部下を持ち、社会的な役割が大きくなるにつれて指導力が生まれてくる。そして社会のリーダーになるに及んで清濁併せのむ包容力が高まり、さらに、そこにいるだけで、後ろ姿で人を導くような感化力が身についてくる。
1段階は社会的成熟度が最も低い「自利」、これに対して7段階は最高の「他利」の心である。すなわち、下に行くほど自分のため、上に行くほど相手のためを考える。世の優れた指導者といわれる人はみな、他人のこと、社会のこと、日本や世界のことに心を配る「利他」の心を持っている。
(4)、自利から利他へ
↑ 他人の喜びを我が喜びとする
↑ 他人の成長や幸せを願う
↑ 協力する。助ける。教える。
↑ 信用する。信頼する。
↑ 関心を持つ
全体の中の自分 (利他)
↑
成熟
未成熟
↓
未成熟 自分中心 (自利)
↓ 無関心でいる
↓ 非協力的。見て見ぬ振り
↓ 対立する。反発。反感。
↓ 妬む。恨む。
↓ 攻撃する。邪魔をする。
人間性は「人間らしさ」といってもいい。これを「人間だけが持っている心」とすれば、「他人の幸せを思う心と行動」こそ「人間らしさの」根底にあると考えられる。
心が未成熟なほど自己中心であり、反対に成熟するにつれて全体の中の自分を考えるようになる。
上に行くほど「他人のため」という思い、いわゆる「利他の心」が高まる。人は一人では生きていけない、多くの人のおかげさまで生かされていることが分かるから、他人を「思いやる」「協力する」「助ける」「他人の喜びを我が喜びとする」という心になる。
反対に下に行くほど「自分のため」の思いが強くなる。これは「自利の心」で、「自己中心」「妬む・恨む」「他人を騙して自分が得をする」など自分を優先する心である。
心が自利に向かうか利他に向かうかの境目は「関心」か「無関心」かにある。すなわち、物事に関心を持てば理解が深まり、理解が深まれば信用や信頼が高まってくる。他方、無関心のままであれば理解ができず、いずれ反発、反感から憎悪の念にもつながりかねない。
「他人のため社会のため役に役立つことが人間の人間たる所以」であり、こうした心が人を惹(ひ)きつけて止まない人間力の源となる。これを突き詰めていけば、人間性とは「徳の高さ」を表しているといっていい。人徳の高い人の家は家徳が高くなり。家庭も、会社の社徳も高くなる。
(5)、人間性が高まらないわけ
人間の肉体は加齢とともに成長していくが、心の成長は必ずしも年齢に比例しない。成人しても成熟度が高まらない原因の一つは、基本的信頼感が成熟できない場合である。しかし、基本的信頼感が獲得されていても社会的成熟度が高まらない人も少なくない。何ひとつ不自由なく育てられたにもかかわらず過度に甘やかされたため依存心が抜けず、自分の気に入らないことに我慢ができないという人もいる。
図で肉体は年齢とともに確実に成熟していく。こう書くと、「いや、肉体は25才を過ぎると伸びない」という人がいるが、それは違う。確かに25才を過ぎれば身長は伸びないかもしれない。しかし、加齢とともに体力は確実に衰え白髪や皺が増えていく。これらはみな成熟の所以(ゆえん)である。
これに対して心はどうだろうか? 80才、90才になっても心の若さを保ち成長している人も大勢いるが、歳をとっても他人の成功を羨(うらや)む、妬(ねた)む、人に突っかかるという大人げない人も少なくない。成人しても依存心がいつまでも抜けない、怠け癖がついてしまっている。失敗の責任を他人に転化する。失敗を隠す。仲間の足をひっぱる人たちはどこにもいる。なぜ、肉体は年齢とともに成熟するのに、心の成長はしていかないのだろうか。
それは、人間は毎日、肉体に栄養を与えないと生きていけないは、心には栄養をやらなくても死ぬことはないからだ、それ故、心に栄養をやらない人がいっぱいいる。
考えてみよう。私たちはいったい、心にどれほど栄養をやっているだろうか? 毎日三食、食べることは忘れないが、心を充実させることを忘れてはいないだろうか。心は意識しないと成長していかない、これは肉体との大きな違いである。毎日、心に栄養をやることを心がけたいものである。
(6)、人間性を高める3項目
1)凡事徹底
「お掃除・挨拶・ありがとう」 → OAA
イエローハットの鍵山氏 「トイレ掃除」
スーパードライの挨拶・身だしなみ
2)両親・先祖につながる
自分の大半は親祖先からの受け継ぎ、親祖先につながることで徳が継承される。
“ いのち ” を遡ると宇宙生命につながる。
3)良い師を持つ
(7)、親祖先につながる家計分析
1)家計分析とは
自らの両親・祖父母・曽祖父母の生きざまを調べ、家系図にまとめ、分析し、自らの
“ いのち ” に流れる徳を継承するとともに不徳を縁づけない生活に転換するプロセス。
2)家計分析(DNA洞察)の効果
①天命を知る(人間力が高まる)
②家族・会社の問題が解決に向かう。
③サムシンググレートが味方する。
(8) 天命に気づく
天に命ずる、これを性という(中庸)
人は誰でも自分しか果たせない天命を持って生まれてくるというが・・・
↓
天命とは
代々の親の子に対する願い・期待の集積
(DNAに集積)
(9)家計分析の進め方
家計調査 ⇨ 家系図の作成 ⇨ 生きざま調査 ⇨ 徳不徳の発見 ⇨ 徳の継承と不徳の浄化・抑制
⇨ 結果(幸せ・健康・成長) ⇨ 家族史の編集
(10) 積善の家に余慶あり(祖先の善行のおかげで、子孫が受ける幸福。)
エドワード家
初代ジュンソン・エドワード(1700年代の神学者)
家に生まれた子供1394人のうち1294人が一流大学卒業、3人が大学総長、65人が大学教授、100人以上が牧師・神学者、60人が作家・新聞記者、法律家が100人余り、30人が裁判官、80人が官公職につき、その中には副大統領や上院議員がいる。
(11)不積善の家に余殃(よおう)あり(先祖の行った悪事の報いが、災いとなってその子孫に残ること)
ジューク
1920年にニューヨークの片田舎に生まれた怠惰な無頼漢。6代の間に1200人が生まれているが、うち300人が赤ん坊の頃に死亡、310人が極貧の収容所に入れられ、440人が病的な不良(女の子の過半数が売春婦)130人が監獄に入る。真面目な職業に就いたのはわずか20人に過ぎなかった。
・・・・・(10・11・アメリカ政府の調査、安岡正篤紹介)
(12)陰騭録(いんしつろく)から
1)袁学海 (幼名) → 袁(えん)了(りょう)凡(はん)
2)孔 老人から一生の易を見てもらう
→ 人の運命は既に決まっていることを知らされる。子供ができない、53歳で死ぬ
3)雲谷禅師に面会 → 「運命は変化するもの」「天命は自ら造り、福は自ら求めて得る」
4)運命を変える → 謙虚、積徳、改過の実践で人生が転換 → 長命(74歳)、子を授かる。
(13)知名・立命・宿命・運命
宿命 = DNAに蓄積された「定め」
⇒ 易学の誕生。しかし、宿命には「徳」も「不徳」
⇒ 「徳」を伸ばし「不徳」を抑制するよう「命」を「運ぶ」必要が
運命 = 「徳」を発揮し天命を社会に役立てる。
(14)、お墓まいりから事業が好転
墓参りを通じて親、祖先に無関心でいた自分を反省し、心からお詫びをし、心が洗われた。親、祖先につながった時からサムシンググレートが味方してくれるようになった。
祖父母、父、母の愛を感じることができる瞬間。相手の立場に立って考えてみると、会社で自分の邪魔をしてきたと思っていた人や仲間の言い分や行動も理解できるようになった。自分が至らなかったことにだんだん気づくようになった。
「家族愛、郷土愛」が流れていることを知って初めて反発心が理解に、理解から信頼、尊敬へと父母への気持ちが深まっていった。
(15)天への貯金
1)村上和雄先生
「自分は決して一流ではないが、世界的な仕事ができたのは天からの貯金のおかげさま」
2)易経から
「積善の家には余慶あり」
3)いい会社は
社長の人徳、家徳が高い。
4)大切なことは
「先祖の徳を使い尽くさないこと」
「徳を積む」こと
(16)徳と不徳を発見する。
1)徳とは
「他に与えた喜びの天への貯金」
人に好かれた、寄進した、商品開発した、相談に乗った、助けた、仲人をした・・・
2)不徳とは
「精算されずに残されている他に与えた悲しみ、苦しみ」
迷惑をかけた、争った、破綻した、病気短命、借金を残した・・・・・
(17)不徳を浄化・抑制する。
1)背景を理解し、苦しみを共有する
2)縁づけない
縁
↓ 太陽
水 ↓ 栄養
因 ⇨ 果
↓ ↓
種 花
種という因があるから結果として花が咲く。しかし、いくら種があっても水、太陽の熱と光、栄養がなければ花は咲かない。
因が果を結ぶには縁が必要。そこで、もし自分の遺伝子や環境因子に悪いものがあったら縁をつけなければよい。そうすれば悪い結果が出ることはない。
(3)慰霊する
悪い因子のために祖先が苦労されたことがわかれば、その苦しみや悲しみを思いやり慰霊することも大切である。
(18)家系分析が幸せを呼ぶわけ
1)自分がかわるから
自分が変われば相手がかわる。
2)家のエネルギーが高まるから
徳を顕彰、不徳の背景を理解し浄化することで祖先が喜ぶ。
3)大宇宙生命とつながるから
宇宙の意思はすべてよい方向に向かう頻繁に起こるシンクロ二シティー
☆シンクロニシティとはユングの提唱した言葉で『共時性原理」と一般には訳され、因果律とは異なる原理として、非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則原理とされています。 簡単にいうと「意味のある偶然の一致」というふうに定義されています。
4、恩
二人目の孫ができた。
このあいだ、目に入れても痛くなかった。
親の愛情をしみじみ感じたのは、自分の子を持ってからだった。
その頃から、父母には優しく接しられた。
子供の病気は自分の命と変えてもいいと思った。
今年、父を亡くした。
父、母の思い出に数え切れない深い愛情に恩をしみじみ感じる。
深い愛は優しいだけではない、厳しいものもあった。
5、今月の言葉
恩に報いる人生
恩知らずになったら、どんな才能があっても道は開けない。恩を知り、そのことに感謝し、報いていく人が道を開いていく
・・・・・上甲晃(志ネットワーク「青年塾」代表)
受けた恩
受けた恩は岩に刻み、与えた情は砂に流せ。
見返りを求めているようでは一流にはなれない
・・・・・小林一光(アイ・タッグ社長)
恩に生きる
「口」=環境と、「大」=人の手足を伸ばした相と、「心」より成るものが「恩」の字。
なんのおかげでこのように大きく存在しておるかと思う心が、恩を知ること
・・・・・安岡正篤(東洋思想家/昭和の歴代首相、財界人の指南役)
親の愛情
幼少期の一番の教育は「ここに生まれてきていいんだよ。あなたの存在をすべて認めてあげる」という親の愛情です
・・・・・大平光代(弁護士/大ベストセラー『だから、あなたも生きぬいて』著者)
変化する
最も強い者や賢い者が生き残るのではない。生き残る者は、ただ変化に即応できる者だけだ
・・・・・ダーウィン(進化論を唱えたイギリスの自然科学者)
天に貯金
天に貯金をしておくと、あとで一万倍になって返ってくる
・・・・・村上和雄(筑波大学名誉教授)
ひたむきに生きる
ひたむきに生きる時、自ずと我欲は消えていく
・・・・・皆藤章(京都大学大学院教授/臨床心理士)
感謝と幸福感
感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく
・・・・・松下幸之助(経営の神様)
高い志を持つ
高い志から生まれた夢は、多くの人を奮い立たせる
・・・・・張富士夫(トヨタ自動車名誉会長)
深く根を養う
樹木は根を張った分、枝を広げることができる。人もまた深く根を養ってこそ世の中で活躍することができる
・・・・・横田南嶺(鎌倉円覚寺管長)
幸福感と遺伝子
無償の愛や、相手を支えたいという気持ちで日々いそしんでいれば、大きな見返りを得ることができます。すなわち幸福感です。心が幸せなとき、遺伝子はオンになっている
・・・・・村上和雄(筑波大学名誉教授/遺伝子工学をリードする第一人者)
賜ったいのち
こうして今この世に生まれて、生きていられるということは、不思議なこと、有り難いこと、賜ったいのちなのだと真摯に受け止めて、自分の都合ばかりを考えずに、このいのちを何かの役に立つようにつとめようと願いたい
・・・・・横田南嶺(鎌倉円覚寺管長)
命の連鎖
自分がここにいるのは両親がいたからであり、その両親にもそれぞれ両親があり、それが連綿と続いて、いま自分はここにいる。どこかで組み合わせが変わっていたら、あるいは途絶えていたら、自分はここにはいない。自分の命は自分のものではない。すべて与えられたものだ。その自覚こそ、自分の花を咲かせる土壌となる
・・・・・『ポケット修養訓』
遺伝子をオンにする3つの条件
一、高い志を持つこと
二、喜びを多くの人と共有すること
三、自分たちの仕事が世の中のためになるという熱き思いや意識を持つこと
・・・・・村上和雄(遺伝子工学の世界的権威)
老舗に共通する精神
一、地味にコツコツ泥臭く 二、おれがおれがの“が”をすてて、おかげおかげの“げ”で生きる
・・・・・田中真澄(ヒューマンスキル研究所所長)
父母の恩徳
父母のおんとくはてんよりもたかく、海よりもふかし
・・・・・中江藤樹(近江聖人と謳われた儒学者)
6、後書き
人としての生きる道について、多くの人に教えをいただいた。
自分だけではなく、そこには多くの人から教えていただいた恩を忘れない。
それは、よほど難しいことではないかと思われるが、一番大切なものは≪礼儀作法≫でした。礼儀作法というのは「衣食住」全般にわたっていて、それこそが人間の人間たる基本ということを教えていただきました。
衣 暑さ寒さから体を保護するためのものだが、それだけではなく、冠婚葬祭、仕事、おしゃれ、くつろぎなどの服、身綺麗にして整えることで、心のありようを示している。
食 食は薬餌 食べることによって体を養い、一体不二の関係にある。きちんとしたものを食べることが大切
住 人生のほとんどを家や職場で時間を送る。多くの時間を過ごす場は、日頃から掃き清め、整理整頓しておく。
幸せな人生を送るためには、土台である。礼儀作法の上に則った 衣 食 住 を整えること、それには「心」を豊かにするための栄養を心に与えるために学び、自らの生き方に目をやり、自らの運命を築き上げる努力が大切。
「心」が荒んでいるような、最近の世俗、多くの事故や事件を耳にします。
将来に希望の持てない閉塞感が、知らず知らずのうちに人々の心を蝕んでいが、本当の原因は社会や環境、他人にあるのではなく。
それは、まさに人間としての徳を失い、人間の「心」のよりどころを失ってしまったから、そのために、人間の「心」そのものが弱まり、、正しいことと邪( よこしま)の判断がつかなくなってしまっている。
「心」を軽んじるあまり、「心」そのものが弱くなってしまえば、自分らしい生き方を求めることもできないし、人間が人間らしく生きていくことはできないと思う。