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有賀泰治ブログ

7月 経営方針共有勉強会

7月・経営方針共有勉強会
・・・・・・・・・・・・・・・・2011年7月1日
・・・・・・・・・・・・・・・・有賀 泰治

1、日銀松本支店長より
・・・・・・・・・・・・・・・・2011年5月30日

☆ 東日本大震災(注)2011
資本スットクの毀損額⇒16~25兆円
資本スットクの毀損率・毀損(きそん)額(がく)/名目GDP⇒3~5%
毀損額/資本ストック全体⇒1.4~2.2%
(注)原子力発電関係の被害は含まれない。

☆ 関東大震災(1923)
資本スットクの毀損額⇒46億円
資本スットクの毀損率・毀損(きそん)額(がく)/名目⇒29%毀損額/資本ストック全体⇒9%

☆ 太平洋戦争(1941~45)
資本スットクの毀損額⇒643億円
資本スットクの毀損率・毀損(きそん)額(がく)/名目⇒86%
毀損額/資本ストック全体⇒25%

☆阪神・淡路大震災(1995)
資本スットクの毀損額⇒9.9兆円
資本スットクの毀損率・毀損(きそん)額(がく)/名目⇒2%
毀損額/資本ストック全体⇒0.9%

今後の課題
(1)2つの課題
景気循環的な課題
物価安定のもとでの持続的な成長経路に復帰すること(需要を増やしてデフレからの脱却すること)
経済構造上の課題
中長期に成長を底上げしていくこと(潜在成長を高めること)

(2)経済成長率の長期的推移
日本の経済成長率は趨勢的(すうせいてき)に低下している。

(3)成長率低下の背後にあるもの
生産性の低下に加え、就業者の減少も成長率に影響

(4)こうぞう変化の下での成長率底上げ
・ グローバルな競争の激化、人口の減少と高齢化といった構造変化は、一面で既存の事業分野の安泰を脅かす。
・ しかし、経済の地域変動によって新たな需要の鉱脈が形成されるという作用もある。
・ 医療、健康、環境、元気な高齢者、新興国の富裕層、食の安全、etc.
・ 新たな需要を発掘し、それに対応する供給体制を作っていくことが、経済全体の成長力底上げのために必要。

以下、別途参考
「新成長戦略実現2011」 1月25日閣議決定文

「元気が出る日本を復活させる」ための新成長戦略を実現させなければならない。まさに、有言実行の具体的な「実」を示すときである。ただし、成長とは変化であり、変化を起す覚悟を伴う。我々は、困難を覚悟した勇気ある「決断」か、さもなければ先送りの果てにある「衰退」かの分水嶺の上に立っていることを認識する必要がある。

「政策推進指針~日本の再生に向けて」2011/05/17 閣議決定より

新たな成長の芽(コンパクトシティ、エコタウンの建設、省エネ・新エネビジネス、分散型エネルギーシステムの展開、地域のニーズに合った社会保障サービス、農林水産業の6次産業化等)の育成と資金需要拡大(ファンド等による民間投資の促進やPFI・PPPの活用促進等)の好環境を形成する。

■ 「PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)」とは、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う新しい手法です。

■ 民間の資金、経営能力、技術的能力を活用することにより、国や地方公共団体等が直接実施するよりも効率的かつ効果的に公共サービスを提供できる事業について、PFI手法で実施します。

■ PFIの導入により、国や地方公共団体の事業コストの削減、より質の高い公共サービスの提供を目指します

■ 我が国では、「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」(PFI法)が平成11年7月に制定され、平成12年3月にPFIの理念とその実現のための方法を示す「基本方針」が、民間資金等活用事業推進委員会(PFI推進委員会)の議を経て、内閣総理大臣によって策定され、PFI事業の枠組みが設けられました。

■ 英国など海外では、既にPFI方式による公共サービスの提供が実施されており、有料橋、鉄道、病院、学校などの公共施設等の整備等、再開発などの分野で成果を収めています。

PPP(パブリックプライベートパートナーシップ)は、文字どおり、官と民がパートナーを組んで事業を行うという、新しい官民協力の形態であり、次第に地方自治体で採用が広がる動きを見せている。PPPは、たとえば水道やガス、交通など、従来地方自治体が公営で行ってきた事業に、民間事業者が事業の計画段階から参加して、設備は官が保有したまま、設備投資や運営を民間事業者に任せる民間委託などを含む手法を指している。PFI(Private Finance Initiative:プライベートファイナンスイニシアチブ、民間資金を活用した社会資本整備)との違いは、PFIは、国や地方自治体が基本的な事業計画をつくり、資金やノウハウを提供する民間事業者を入札などで募る方法を指してるのに対して、PPPは、たとえば事業の企画段階から民間事業者が参加するなど、より幅広い範囲を民間に任せる手法であることだ。

2、普代村(ふだいむら)の奇跡

元村長の信念で建造された水門と防潮堤により、東日本大地震に伴う大津波の被害を免れた岩手県普代村の深渡村長より、村に奇跡をもたらした和村元村長の信念について語っています。

『今回被害が割合に少なかったのは、漁港と集落との間にある太田名部防潮堤と、普代川の河口から300mのところにある普代水門とが巨大津波を食い止めてくれたおかげです。
この防潮堤と水門は和村幸得元村長(故人)の努力の結晶ともいえるものですが、ともに15m50cmもの高さがあります。
もしこれが少しでも低かったら、当村もまた数多くの死者を出していたと思います。
防潮堤は昭和43年、水門は59年に完成しています。
当時の和村村長は漁港沿いに走る県道脇に15m50cmの新たな防潮堤を築き、国・県に働きかけて普代水門の建設に取り組みました。
水門完成までの13年間は相当の抵抗や障害があったことを私も記憶しておりますが、和村村長は反対する県の職員や村議会議員を粘り強く説得しながら、ついに県内一の水門の完成にこぎ着けられました。
その努力がなかったら、村はいま頃壊滅していたかもしれません。
先見の明といいますか、その発想といい、執念といい、本当に素晴らしい村長だったと思います。
私は偉い先生方の評価をする立場にはありませんが、社会全般的に見ましても周囲の顔色ばかり窺う八方美人のような日本人が増えている気がいたします。
相手に強く言われるとすぐに引っ込むし、ぶつかると腰砕けになってしまう。
その点、和村村長という方は実に気骨のある方でした。』

3、日本人が心に留めておくべきこと
塩沼亮潤大阿闍梨(だいあじゃり)千日回峰行という極限の修行を満行された

① 人間には、時間が経って忘れていいこともあります。

しかし、本当に大切な気づきというのは、深く反省して、決して忘れてはいけないのだと改めて思います。

今回の震災も、ゴールデンウイークが過ぎ、2か月が過ぎ、被災地の方はまだまだ厳しい毎日を送っておられるのに、他の都道府県とはちょっと温度差が出てきているのを感じています。

やはり長い時間をかけて、みんなが心と心を繋ぎ合い、助け合って生きていかなければいけないことを痛感しています。

師から教えていただいた、

「草木は根にくらくして華に敷き開く」

という言葉があります。

草や木は目に見えない根っこの働きがあればこそ、時期が来れば一斉に花を咲かせることができます。

同様に、目に見えない地道な働きが必要になります。

お互いの助け合いの精神を忘れず、被災地への地道な活動を、いまだけでなく長く続けなければなりません。

② 3月11日以前と以降では、世の中の物事の捉え方、考え方がかなり変わったことが感じられます。

震災以前は、優しさとか、思いやりとかいう言葉があっても、それを実際に行動に移したりすることは少なかったと思います。自己の見つめ方も理論とか頭で捉える傾向が強かったと思います。

しかし本当の自己が実現するためには、実践的認識の上にしか具現されません。

心と心を通い合わせる大切さ、そこに気づき始めるようになりました。

今回の大震災を機に、再び心と心を通じ合わせ、そして一人ひとりが自己を見つめ、人としての道、法に従って我が道を歩んでゆくところに、本当の自己が実現され、もう一人の自分と出会うことができます。

いま生きている私たちが、精いっぱい自分の道を歩んでゆくところにいつかきっと充実感が得られ、感激も生まれて、そしてその感激がまた、自己を生かしてくれ、成長をもたらします。

ですから試練を自己の鍛錬と思うようにして、平常心を持っていまこそ歩むべきだと私は思います。

4、震災後のいま、私たちがなすべきこと
震災時、テレビで繰り返し放映された金子みすゞの詩。その作品を発掘し世に広めてきた矢崎節夫氏より。

『震災後、繰り返し津波が襲ってくる映像を目の当たりにしながら、直接被害を受けなかった人たちがなすべき仕事があるなと感じました。
それはいかに日常生活をきちっと過ごすかということです。
震災2日後、予定どおり京都で開かれる講演会に向かい、その足で東山にある禅林寺・永観堂を訪れました。
そこでお聞きした法主のご法話に私は深く感ずるものがあったのです。
「仏教の言葉に、代受苦者(だいじゅくしゃ)というものがあり、これは本来私が受けていたかもしれない痛みや苦しみを、代わりに受けてくれている人を指します」
この言葉をお聞きした瞬間、私は大きな衝撃を受けました。
私が受けていたかもしれない苦しみを、今回は東日本の方々が代わりに受けている。
本来であれば私が被災者であったかもしれない、そう考えるとすべてが自分の問題に見えてくるのです。
いま日本全体に一体感が生まれていますが、これも時が経てば被災した人と被災しなかった人との間に無意識のうちに溝が生じてくるでしょう。
私自身も、いつしか被災した人々のことを他人事のように考えてしまう可能性が十分にあります。
「代受苦者」というこの言葉は、被災者と私の間に横たわる目に見えない境界線を消し去ってくれました。
私そのものである被災者のために、自分にできることを考えて、なんでもしよう、そんな気持ちが湧き上がってきました。』

5、災難や逆境を乗り越える妙法
CDや犬型ロボット「AIBO」などの開発で有名な天外伺朗(てんげ・しろう)氏

良寛に有名な言葉があります。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
実はこの言葉、大地震のお見舞いの手紙の中の一節なんですね。
僕はこれ、ものすごく深いと思います。
人間の運命というものは、そんなに簡単によし悪しのレッテルをつけられるものではありません。
悪いと思った中に素晴らしい運命の種があるし、いいと思った中に悪い種がある。
だから、まさに今回もこの良寛の言葉に当てはまることで、この大災害を日本人全員がしっかりと受け止める。そこから次に繋がるよい種を見つけ出し、新しい出発をすることが大事だと思います。

6、人生の荒波を乗り切る、心構え。
かつて阪神・淡路大震災からいち早く立ち直り、大手書店チェーンへと躍進させたジュンク堂書店会長・工藤恭孝氏

神戸で地震があったのは、平成7年1月17日の午前5時46分ですが、あの時は直下型のもの凄い地震でした。

会社の8店舗のうち、6店舗は潰れてしまっている。

2店舗では売り上げが前年対比でマイナス70%以上になりますから、被害が少なかった三宮のサンパル店を早急に再開しようと決めたんです。

まだ三宮地域は完全に瓦礫の街でしたが、オープン日にシャッターを開けてみたら、お客様が雪崩れ込むように店に入ってこられた。

あの時にお客様から口々にお礼を言われたんですね。

「よう開けてくれた」

と。皆が非常に感動しながら仕事をした1日でした。

後で考えてみると、売り上げが前年対比30%を割っている会社が生き残れるはずがないんです。

でも社員たちの一所懸命やってくれている姿を見ていると、絶対に会社を潰せない。そういう信念のようなものが生まれてきたんです。

再建に取り組む上では

「必ずできるんだ」

という信念を持つこと。

「絶対にうちは大丈夫だ」「絶対にうちは潰れない」と頭の中で何回も何回も唱え、強くそう思い込むことですね。

自分が思っていると、黙っていても社員、銀行、取引先にも伝わる。

「社長がこれだけ自信を持ってるなら大丈夫だろう」

って、勝手に思い込んでくれますから。

でも本当に、心の底から思い込まないと誰にも伝わりません。

「こういう方向に行くんだ」

という姿勢を示すことで自ずと社員のベクトルが合っていくんです。

7、いま、注目を集める漁民の、再起に懸ける思い

宮城県の気仙沼で牡蠣(かき)の養殖業を営む畠山重篤さん。
豊かな漁場をつくるため、「森は海の恋人」という植林運動を展開し、丹誠込めて育ててきた漁場が、この度の震災で壊滅的な打撃を受けました。

6月13日(月)午前4時過ぎNHKラジオ「こころの時代」にも登場。

(インタビュアー:これまで丹誠を込めて牡蠣の立派な漁場を育ててこられたのに、今後のことが心配です)

その点では割合前向きに考えています。

といいますのは、海はほとんど何も壊れたわけではないんです。壊れたのは人間の都合の部分だけですから。

こういうことがあるたびに、海に漁師はいなくなるんじゃないかっていつも言われてきました。

ところが海がガラ空きになることは絶対にないんですよ。誰かが必ずまた始めるものなんです。

小学校に避難している人たちにアンケートをとったら、最初はもう絶対にあんな危ないところに帰らないって言っていたようです。ところが最近は、やっぱり海の見えるところに住みたいってみんな言い出しているんです。

なんでそういうところに戻ろうという気持ちになるのか。

やっぱりそれは、故郷っていうことなんでしょうね。

それと、皆さんが共通して言っているのはね、

「海に恨みはない」

っていうことなんです。

そこには、海しか生きる道がないとか、海の恵みを享受しているからとか、いろんな意味合いが込められていると思います。

私もそろそろ筏をつくる準備を始めようかと思っているんです。

やっぱり生きる道を切りひらいていかなければなりませんからね。

8、作家の西村滋氏が語りかける

少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
殊に母親の溺愛は、近所の物笑いの種になるほどだった。
その母が姿を消した。庭に造られた粗末な離れ。
そこに籠もったのである。結核を病んだのだった。
近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。
しかし母親は一変していた。
少年を見ると、ありったけの罵声を浴びた。
コップ、お盆、手鏡と手当り次第に投げつける。
青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。
少年は次第に母を憎悪するようになった。悲しみに彩られた憎悪だった。
少年6歳の誕生日に母は逝った。
「お母さんにお花を」
と勧める家政婦のオバサンに、少年は全身で逆らい
決して柩の中を見ようとはしなかった。
父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。
だが、だめだった。父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。
少年が9歳になって程なく、父が亡くなった。
やはり結核だった。
そのころから少年の家出が始まる……
13歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。
もういっぱしの「札付き」だった。
ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。
泣いて少年に柩の中の母を見せようとした、あの家政婦のオバサンだった。
オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。死の床で母はオバサンに言ったのだ。
「私はまもなく死にます。あの子は母を失うのです。
幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。
憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。
そうした方があの子は幸せになれるのです」
少年は話を聞いて呆然とした。自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどもなくこぼれ落ちた。
札付きが立ち直ったのはそれからである。

9、仕事に取り組む心構え
金融界のカリスマ・北尾吉孝氏
自身の20代を振り返り、いかにプロとしての土台をつくり上げたか、体験を交えて語られています。

会社に入って仕事を与えられた時、常に心掛けなければならないのは、いま自分のしている仕事が会社にとってどういう意味があるのかを、絶えず明確にすべきということだろう。
ただ漫然と働くのではなく、その仕事の意味をきちんとつかんだ上で、さらに改善、改良を加える努力をしていく。
そうやってその仕事の「意義」を見出し、そこに自分の「意思」を働かせる。
要は、与えられた仕事に主体性を持って取り組めということである。
また、集中力を欠きダラダラと仕事をしてしまう人がいるが、そういう人は概して成長が遅い。
やれと言われたことは一気呵成(かせい)にやる。
そうやって次々と課題に取り組み、よどみなく流れる川のごとく、仕事がどんどん流れていくような状態へと持っていく。
また一方、仕事は自分から創り出さなければならないものでもある。
他の人の仕事を見ながら、こういうこともしてみてはどうか、こうすればよりよい結果が生まれるのではないか、と考えたことを積極的に提案し、実行してみる。
そうやってひたむきに物事に取り組んでいけば、知らず知らずのうちに仕事がおもしろいと感じられるようになってくるはずである。
いずれにせよ、中途半端な気持ちで臨んでいたのでは何の得るところもないだろう。

11、日本人の素晴らしい徳性
中條高徳氏

時の政府中枢から「暴力装置」とまで言われた自衛隊10万余の大活躍はすべての国民の胸を打った。

石巻などでは腰まで泥水に浸かって黙々と避難者を救い出し、遺体を収容し、食事は乾パンと缶詰、風呂もなかなか入れず、寒風に野宿という過酷な状況下で活動をする勇士たちに、全国民から感動と感謝の渦が巻き起こった。

南三陸町では、防災担当の遠藤未希さんが町民に津波の襲来を告げ続けながら、我が身は波にさらわれ散ってしまった。

昨夏結婚し、秋には披露宴を行うため花嫁衣装なども整えていたという。

壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町でも、住民の避難誘導中に半鐘(はんしょう)を打ち続け、あるいは水門を閉めに向かった消防隊員ら11人も犠牲になった。

危険は感じつつも「公」のため「義」のため、多くの方々が役割に敢然と殉じた。

石巻市の渡波小学校では1か月遅れの卒業式が行われた。

人気者のK君がいない。迎えに来た家族と帰宅して波にさらわれた。

K君の親友は悩んだ末、黄色のポロシャツで式に出た。亡くなったK君や制服のない生徒のことを思い、制服での出席を断念したという。

悲劇の大きさは、こんな子供にも惻隠(そくいん)の情をもたらしたのだ。

元キャンディーズで女優のの田中好子さんががんと闘い、命絶えんとする時、肉声で、

「被災された皆様のことを思うと心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです」

「必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います」

と息も絶え絶えに語ってこの世を去った。

このような我が民族の自制心を忘れず、しかも事にあたり我が身を顧みない勇気、そして強いコミュニティ精神などに対して、外電は世界各国の賛辞を次々と報じている。

この大きな災難がその生き様の誇りを気づかせてくれたのだ

11、今月の言葉

トップの理念を浸透させるには、凡事を継続すること
塚越寛(伊那食品工業会長)

我慢力がないと理数の学力低下、読書離れが始まる
藤原正彦(お茶の水女子大学教授)

時を守り、場を清め、礼を正す
森信三(教育者)

進むべき道は一筋、世のために
いそぐべからず誤魔化すべからず
平澤興(京都大学元総長)

「失敗」と書いて「けいけん」と読む
五日市剛(工学博士)

幸せに近づくには短期的な得を目指さないことも大切
鎌田實(諏訪中央病院名誉院長)

学力の伸びは人格の発達を牽引する
岸本裕史(百ます計算考案者)

苦を潜り抜けることが新しい人生を開発してくれる
山村洋子(Tea Time Network 主宰)

失敗は大切な教科書
谷内啓二(谷啓製作所会長)

自らの立ち居振る舞いを正していくことが社会を変えていく
竹花豊(東京都副知事)

能力の差は5倍、やる気の差は100倍の結果を出す
門川大作(京都市教育委員会教育長)

時間がかかっても、格好悪くても、やろうと思えば何でもできる
島袋勉(ラシーマ社長)

真の人格者は、装わなくても品格が感じられます
鍵山秀三郎(イエローハット創業者)

人間は時にマイナスとの出逢いで、大きなプラスを得ることができる
鈴木章子(詩人)
>
子供の問題は両親が100%悪い
廣中邦充(西居院第21代住職)

私にできることは生きること、生きぬくこと
大石邦子(エッセイスト)

道は、心を定めて希望を持って歩む時、ひらかれる
松下幸之助
>
額に汗しないと物事の本当の値打ちは分からない
森孝之(大垣女子短期大学名誉教授)

身体が不自由でも、心の障害者になってはいけません
大石順教
「人生二度なし。これ人生における最大最深の真理なり」
「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」
森信三(もり・のぶぞう)師

本物はどんな人を相手にしても光る
山本一力(作家)

その人からにじみ出る人柄がジャッジや観客を魅了する
金子正子(日本水泳連盟シンクロ委員長)

感謝の心が一番大切。感謝しないと人間が崩れる
周小異(日本生命営業教育部ディレクター)

「あれしろ、これしろ」と言わないで、まず自分が動く
杉渕鐵良(小学校教諭)

世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つこと
福沢諭吉

努力する人に神は「知恵の蔵」から一筋の光明を授けてくれる
稲盛和夫(京セラ名誉会長)

私の人生は泥棒人生
先人の知恵を盗んで人生を築いてきた
井原隆一(経営評論家)

 

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