fbpx
MENU

有賀泰治ブログ

今月の経営方針共有勉強会 スタート

経営方針共有勉強会 6月

1-1 リーダーの流儀 「古典」と対話する
古典とはどういうものなのか。現在まで残っている古典は、様々な時代をくぐり抜け、時代ごとの人たちの支援を受け、輝きをましてきた文化遺産だろう。古典が示す視野の広さや認識の深さは。人間学の宝庫である。
古典に接して古典に学ぶことによって人間を探訪することができる。あるいは自己の精神のアイデンティティーを認識できることができる。古典を読むことは、単に読書することではない。もっと深い価値がある。
決して読書家でないが、しかし、古典にはそこそこ縁があり武田泰淳の『司馬遷』やギボンの『ローマ帝国衰亡史』に刺激を受けた。その後は友人から『フーシェ』を勧められシュテファン・ツヴァイクを知り、故安岡正篤からは『十八史略』を知り古典が身近なものになった。

並の人間ともいうべき自分ですらこの程度だから、政界や財界の一角の人物といわれるリーダーは、一様に古典に深く馴れ親しんでいるようだ。

「さまざまな問題に直面したとき、日頃から〝史観〟を意識し、歴史にさかのぼって考えてみる。なぜなら、いま存在するのはすべての歴史的事実であり、歴史にさかのぼってはじめて現実の意味をはっきりと指摘できるからだ」
そう言い切ったのは、資生堂の福原義春(現名誉会長)。教養人で、優れた読書家であるが、その福原さんが決定的な影響を受けたのは、司馬遷の『史記』であると言っていた。学生時代に出会って10年おきくらいに読んでいるもので、座右の銘の書。福原さんは「古典は人間の精髄である」と言う。

また古典のからみで記憶に強烈に焼きついたのは、都市銀行の某頭取のことだ。この人物は財界にさっそうとデビューし、新風を吹き込んだが、バブル経済の到来でいち早く舞い上がり、そしてバブルの破壊とともに失脚、奈落の底に沈んでしまった。
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という格言を地で行ったわけである。

1-2 読書
あれだけの人物がなぜかくもダメなったか、彼をよく知る友人が「あいつは本を読まなかったからね、特に古典は」とポツリと一言。
学生時代はラクビー、銀行に入ってからはもっぱら耳学問ばかりで、まったく本を読むという習慣がなかったというのである。
まさに衝撃の一言であった。
その友人は「本を読まなかった」と言ったきりだったが、本当はリーダーに必要な帝王学、その基本的教養に欠けていたと言いたかったのではあるまいか。

1-3 古典とリーダー
改めて言うまでもなく、この両者は密接不可分な関係にある。古典と対話できない人間は、リーダー失格と言ってよいだろう。
特に欧米の政財界では、古典と対話し、古典に展開される時代的意味の発見に努めることは、企業が変化する上でも不可欠であるという考え方が厳然として存在する。日本でも同じ考えがあるだろう。
アスペンの創始者、ウォルター?・ペプスキーという人物も、こう言っている「経営者足るもの、古典に学び己を磨かねば、人を収めることはできない」と。まさに熟読玩味すべき言葉である

『野火焼けど尽くず、春風吹いて又生ず』は、司馬遷の『史記』から出典していてアルガグループの経営基本書の表題となっている。

2、自身の戦争体験を踏まえ、この度の災害で親を亡くした震災孤児へメッセージ
・・・作家の西村滋氏

震災孤児に限らず、日本人として留意すべき内容ですのでご紹介します。

僕はあの子たちに「明るく頑張れ」なんて言えないです。そんな無理なことは。
その代わり、
「泣け」
と言いたいですね。泣くこともまたエネルギーですよ。
歯を食いしばって立ち上がることだけがすべてじゃない。
中途半端に立ち直ったつもりにならないよう、時には徹底的に負けたほうがいいこともある。
それは言い方を換えれば、加害者をよく見るということでしょう。
地震は天災ですから、何に対して気持ちをぶつけてよいのか分からない。
でも原発の処置を巡ってモタモタしている政府や企業の対応など、批判できる対象はあるわけです。
そういうことにぜひ目覚めていってほしいと思いますね。
辛いとか悲しいとか、やけくそになるとかいうのではなく、これを機にものを見る目を養うということです。
いわゆる震災孤児の思想、これが一番の武器になるんですよ。
いまの子供たちがだんだん成長していく中で、この震災に対して日本はどういう国であったか、つまり人間がどういう存在であるかということが分かってくる。
私の書いた『お菓子放浪記』の結びにも
「美しいお菓子のような人間になるということは、ホンモノとニセモノの見わけのつく、確かな目と心をもった人間になることだ」
と書きましたが、僕の生きてきたテーマはそこなんです。

3、「謙虚さ」

日本で唯一の刑務所内の中学校で35年教職を務めてきた角谷敏夫氏、その貴重なご体験から得た教訓を語られています。

刑務所内の生徒たちとともに過ごした35年の中で、私は
「謙虚さ」
を教わりました。
なぜかといえば、謙虚であればあるほど、感動が深いからです。
高校時代、友人と3人である小説家の講演会に行きました。終了後、
「ああ、すごくよかった」
と私が言うと、友人は
「つまらなかった」
と言いました。
後から思えば、同じ話を聞いて感動、感激した私は、友人よりもずっと得をしていたのだと思います。
生徒たちは、私も思いもよらないことに感動して、感激します。
体育でソフトボールをやる時に、彼はピッチャー、彼はキャッチャー、セカンドは彼、と定位置が決まってきます。
いつもセカンドをやっている彼が、私にこんなことを言いました。
「僕はいままでどこにも居場所がなかったのに、この学校ではセカンドを守らせてもらえてすごく嬉しい」
「きょうは、いつもファーストを守っているKさんが風邪で休んで淋しかったけれど、彼がいなくて淋しいということは、うちのおふくろは俺がいなくてもっと淋しいんだろうな」
同じように、授業の号令当番や掃除当番にも感動し、彼らは本当に懸命に取り組んでいました。
謙虚な人ほど感動する。感動するから学びが深くなる。
それは間違いではないようです。

4、経営の神様”から得た貴重な教訓

あの松下幸之助氏の最後の直弟子といわれるWOWOW相談役・佐久間昇二氏が紹介しています。
私が松下幸之助という偉大な師とお会いしたのは、28歳の時でした。

ある時、幸之助さんが新聞広告に出ていた某ミシン会社の貸借対照表を見て、現金を多く保有していることに驚かれ、その理由を調べるよう指示がありました。
調査したところその会社は、ミシンを積み立てで販売する「予約販売制度」を取っていたことが分かりました。
幸之助さんはその予約制度を松下でもやりたいと考えておられましたが、私は一通りの報告をした後で「やるべきではありません」と結論を述べました。
幸之助さんはじっと話を聞いておられましたが、
「君はそれ、自分で確かめたんか?」
と言われました。
つまり、調査会社にやらせたのではなく、自分の目と耳と足で確かめたのかと。
私が「全部自分で確認しております」と答えたところ、
「それは結構や。ところで君、そのミシン会社は一流やろ。その一流会社がやってることを、うちがやったらなぜあかんのや」
とおっしゃいました。私は
「一流会社がやっているからいいというのではありません。この制度を採用することが一流会社として本当にふさわしいものかどうかで判断してください」
と述べました。
すると幸之助さんは「よし、分かった。やめとこう」と即断されたのです。
驚いたのはこちらです。普通なら「後は我々で預かる」となるものでしょう。
幸之助さんがそうでなかったのは、実際に現場を見てきた者に対する信頼と、もう一つは経営者としての「勘」ではないかと思います。
その時につくづく感じたのは、私が自分で現場を歩き、自分で確かめて結論を出したのが、信用を得る根拠になったということです。
現場には宝物が落ちているといわれますが、絶えず現場を確かめることの大切さをこの時、身をもって知りました。
また当時から私の根本にあったのは、社長や上司を間違わせたくない、会社として正しい判断をしていただきたいという思いでした。
自分が提言することは会社にとって正しい、と自信を持って言えるかどうか。
そうでなければ本当の意味で仕事をしているとは言えないでしょう。

5、先の大震災で命を賭して人を救った宮城県・佐藤充さんのお話を

石巻木鶏(もっけい)クラブで学ばれてきた櫻井健悦さん

中国ではいま、1人の日本人男性の命懸けの行為が国民の間で大きな感動を呼んでいます。
宮城県女川町の佐藤水産専務・佐藤充さん。享年55歳。

子供の頃から先輩として親しみ、石巻木鶏クラブの大切な仲間でもありました。
2011年3月11日。
東日本を巨大地震と大津波が襲ったこの日のことは私たちの記憶から一生消えることがないでしょう。
佐藤さんはその時、港のすぐ傍にある会社で業務に当たっていました。
佐藤水産は東京築地市場をはじめ、全国の主要都市に出荷を続ける生ウニの老舗で、佐藤さんはその営業責任者でした。
近年は中国から研修生を受け入れており、20人が加工や出荷に携わっていました。
震災が起きたこの日も、いつもどおり冷たい水作業に手をかじかませながら和気藹々と仕事に勤しんでいたのです。
午後2時46分、突然の激しい揺れが襲いました。
驚いた研修生たちはすぐに寄宿舎の傍の小高い場所に避難しました。
しかし彼女たちには津波に対する十分な知識がありません。
佐藤さんは怯えながら寄り添う研修生の姿を発見するや
「もうすぐ津波が来る。早く避難しなさい」
と大声で伝え、高台にある神社まで連れて行きました。
そして、残っている従業員や研修生はいないかと、自らの危険を省みることなく再び会社に戻ったのです。
すでに津波は目前に迫っていました。水かさは1秒ごとに増していきます。
佐藤さんは屋上に逃げたものの、高台にいる研修生の前でついに社屋ごと津波に呑まれ、そのまま行方が分からなくなりました。
研修生たちはなすすべもなく、泣きながら見守るしかなかったといいます。
大雪の中、途方に暮れる研修生たちを助けたのは、佐藤さんの兄で社長の仁さんでした。
仁さんは悲嘆に暮れる間もなく、研修生の居場所を確保し、20人全員を無事中国に帰国させたのです。
「あの時、もし佐藤専務に助けられなかったら、私たちは全員津波の犠牲になっていた」
研修生たちがそう涙ながらに語る姿を、中国のテレビや新聞は一斉に報じました。
報道は国民に大きな反響を呼び、同国のサイトには
「彼は愛に国境がないことを教えてくれた」「彼の殺身成仁精神を中国人は決して忘れない」
という声が殺到しました。
私も佐藤さんをよく知る一人として、彼の犠牲的精神に心から敬意を表し、縁あってともに学び、語り合えたことを誇りに思わずにはいられません。

6、5月の言葉

自分が嫌いになるような生き方はしない
・・・・・・・・・・・・・・・上山博康(旭川赤十字病院第一脳神経外科部長)

人は変わる時は一瞬
・・・・・・・・・・・・・・・伊藤浩一(コンサルタント)

困れば困るほど道は開ける
・・・・・・・・・・・・・・・野呂幸司(ディール企画社長)

神様が与えてくださった能力は、フルに使わなければ絶対にダメ
・・・・・・・・・・・・・・・市江由紀子(コンビニハウス・コーディネーター)

気位は下げても気品は下げない
・・・・・・・・・・・・・・・東井浴子(東光寺坊守)

今が本番、きょうが本番
・・・・・・・・・・・・・・・東井義雄(教育者)

覚悟を決めれば何でもできる
・・・・・・・・・・・・・・・細谷英二(りそなホールディングス会長)

その動機善なりや 私心なかりしか
・・・・・・・・・・・・・・・稲盛和夫(京セラ名誉会長)

笑顔とは気分ではなく、意思によるものだ
・・・・・・・・・・・・・・・田中真澄(社会教育家)

奇跡=才能×努力×感謝力
・・・・・・・・・・・・・・・・古市忠夫(プロゴルファー)

人の営みは人々の、世の中のお役に立つこと
・・・・・・・・・・・・・・・・金井昭雄(富士メガネ会長)

巧言令色鮮し仁
・・・・・・・・・・・・・・・・孔子

迷うことが少ない人生は関心の幅も狭くなる
・・・・・・・・・・・・・・・・葛西敬之(JR東海会長)

我が身に降りかかる一切はすべてよきこと
・・・・・・・・・・・・・・・・岬龍一郎(作家)

心の奴隷になるな、心の主人公となれ
・・・・・・・・・・・・・・・・清水榮一(心哲学会会長)

明るく、朗らかに、生き生き、溌剌、颯爽と
・・・・・・・・・・・・・・・・中村天風

ここが死に場所と考えてとことんやる
・・・・・・・・・・・・・・・・池口恵観(烏帽子山最福寺法主)

自らが選択し、覚悟を決めてやり抜いてこそ光り輝く自由が得られる
・・・・・・・・・・・・・・・・曽野綾子(作家)

いくつになっても進行形のままで自分を育てていくこと
・・・・・・・・・・・・・・・・清川妙(作家)

幸せになるには、人のために何かをするところから始まる
・・・・・・・・・・・・・・・・小野英輔(サマンサジャパン社長)

幸不幸を判断するのは人の心
・・・・・・・・・・・・・・・・黒澤丈夫(群馬県上野村前村長)

自分の中には無限の可能性が眠っている
・・・・・・・・・・・・・・・・玄侑宗久(作家・臨済宗僧侶)

出会いによって自分の世界が開け、可能性が開けた
・・・・・・・・・・・・・・・・村上和雄(筑波大学名誉教授)

前向きに挑戦した上での失敗は絶対に咎めない
・・・・・・・・・・・・・・・・井上礼之(ダイキン工業会長)

その人の人生体験がなければ、本当に人を打つ言葉は出てこない
・・・・・・・・・・・・・・・・谷沢永一(関西大学名誉教授)

力耕吾を欺かず
(※一所懸命耕した田畑は、決して自分を裏切らない)
・・・・・・・・・・・・・・・・陶淵明

努力は形が変わって報われることが多い
・・・・・・・・・・・・・・・・鍵山秀三郎(イエローハット相談役)

 

ブログ一覧へ

カテゴリー

    最近のコメント

      アーカイブ

      有賀泰治ブログ
      月別アーカイブ

      - サービスメニュー -