さくら祭り後片付け
弘法山の桜もほとんどが葉桜になりました。
20日間あまり、桜祭りとして提灯で山や桜を照らしていましたが、本日が最終日となりました。
並柳町会の各種団体で後片付けです、早朝より雨が降っていましたが、予定の午後1時には晴れ間がでていい天気になりました。
市街地全体が見渡せる立地なので、雨上がりの松本市内は空気が澄みわたり遠くまで綺麗に見渡せます。
最近は桜の名所として紹介されることが多くなりました。今日もまだ花見客などが家族連れで数組登ってきています。
弘法山古墳
私が小さな頃は、アカシヤの山で、人があまり入るような山ではありませんでした。人家に近いので捨て犬が多くそれが野犬になって犬が沢山いたのを覚えています。
その後、松商学園の野球場を作る計画で松商学園が開発しようとしたところ、頂上に古墳があることが発見され、それを松本市が買い取り発掘をしたと聞いています。
松本市南西部の中山の先端、並柳地籍にあり、標高約650mです。
現在はソメイヨシノ、ヤエザクラなど2,000本が植えられておりますが、
『前方後方墳』が出現した。
墳丘長66メートルで古墳の出現期の3世紀中葉に遡ると考えられているようだが、4世紀のものという説もあります。
埋葬施設は墳丘の長軸に直交する竪穴式石室状の礫槨で天井石はない。箱形の木棺に埋葬されていたものとみられる。
内部からは「上方作鏡」銘の四獣文鏡1面、銅鏃1、鉄剣3、勾玉、ガラス小玉738、鉄斧1、鉄鏃24、S字状口縁台付甕などが発見された。
棺の外側には壺・高坏・手あぶり型土器などを葬送儀礼が行われている。
前方後方墳は、
弥生後期に東海地方西部の濃尾平野において見られる前方後方形の方形周溝墓が祖形であるとも考えられており、濃尾平野は『魏志倭人伝』に出てくる邪馬台国と闘った狗奴国(くなこく)が展開していたとする説があることや、東海地方特有のS字甕が出土していることから、被葬者は濃尾地方の勢力と結んだ地域の首長墓とも考えられるようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・出典、市の資料