山本五十六
12月、四日目の経営方針共有勉強会
大津秀一氏の『死ぬときに後悔すること』
読んで、
死、人が生まれたらずべての人、誰でも必ず死に至る。
これは人として避けることの出来ない事実だ。
そして、死は時に、不幸な死・・・早死、事故死、自殺・・・など死が不幸だといわれる事がある。
では、人は皆、死ぬわけだから、不幸なのか・・・
そうでは無い、生き方や死に方によって、その人の死が幸せなものともなる。
死や・・・生き方・・・などを考える事が出来ました・・・・・
感謝
今日もやはり、山本五十六を知らない若い人がほとんどでした。
大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。戦死時の階級は海軍大将
広く知られている語録がある(下記)
やって見せて
言って聞かせて
やらせて見て
ほめてやらねば
人は動かず –
・・・・・・・・「山本五十六語録」
山本は、聯合艦隊司令長官に就任して。次官当時からの懸案事項であった日独伊三国軍事同盟に最後まで反対する。航空機による時代の到来を予期し、大和の建造に反対し日米開戦にも反対していた。
またアメリカとの国力の違いも認識しており、
昭和15年(1940年)
当時の総理大臣であった近衛文麿の『近衛日記』によると
「余は日米戦争の場合、(山本)大将の見込みの如何を問ふた処、それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」(原文のまま)
と発言している。