有賀稲荷 《元旦祭》
11時からは、有賀稲荷の《元旦祭》です。
弘法山、北の麓に、有賀同姓のお宮があります。
(並柳神明宮は弘法山の南側にあります。)
一族の繁栄と安全を願い、《元旦祭》が執り行われました。
(幕の家紋については、昨年由来を載せてありますので、ごらんください)
舞台の周りにある、幕を見てください、三本梶の家紋です。
これは、有賀同姓の家紋です。
風林火山でもお馴染みの諏訪氏の家紋と同じです。
《三ッ葉根あり梶の葉》は 信州の一宮である諏訪大社の神紋として有名なもので、諏訪氏は諏訪大社上社の大祝から武士化したもので、「根梶」あるいは「根あり梶」と称され、三本梶に太い根が大地に食い込んでいる独特なデザインです。
そして、上社では足が四本、下社は五本足となっている。のちに一族が近世大名に生き残った諏訪氏の場合、上社の流れをひいていることから「四本足に三本梶」を用いていた。
また、『諏訪大明神絵詞』によれば、神功皇后が新羅征伐のとき(日本書紀などによれば、201年から269年まで政事を執りおこなった。夫の仲哀天皇の急死(200年)後、住吉大神の神託により、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻め、新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという、古墳時代の記述)、
諏訪・住吉事跡の二神が、梶葉松枝の旗を掲げて先陣に進んだとあり、また、安倍高丸が謀叛したとき、坂上田村麿が伊那郡と諏訪郡との境、大田切という所で梶葉の藍摺りの水干を着て、鷹羽の矢を負い、葦毛の馬に乗った諏訪大明神に行き遭ったことが記されている、かなり古い一族です。
さらに、梶の葉紋は諏訪大社の神紋として、平安時代から始まったものと思われ、鎌倉時代の公式記録とされる『吾妻鏡』の治承四年(1180)九月の条に、甲斐源氏武田太郎信義・一条次郎忠頼らが、源頼朝の挙兵に応じて出陣したとき、諏訪上社の大祝篤光の妻が夫の使いとして、一条次郎の陣所に来て、「主人篤光、源家の再興を祈って三ヶ日社頭に参籠したところが、ある夜、夢枕に梶葉紋をつけて葦毛の馬に乗った勇士が、源氏の方人と称して、西を指して鞭を揚げたのは、これひとえに諏訪大明神の示現である」と告げたことが記されている。
古い由来の神紋で、松本ではお寺の牛伏寺も同じです。