サントリー鳥井信治郎のライバル
伊集院静の小説。サントリー創業者 鳥井信治郎を描いた『琥珀の夢』
物語では、鳥井信治郎が作った赤玉ポートワインのライバル、神谷伝兵衛の蜂印葡萄酒が登場します。
↑ 写真はその蜂印ワインと電気ブラン
東京浅草の “神谷バー”で今でも売られています。
ワインに色々なものをブレンドして、明治大正の当時、日本人に飲みやすくして大人気だったようです。
飲んだ感想は養命酒のような味!
↓ 一本買ってきました。
←浅草の神谷バー
『琥珀の夢』久々にシビレる小説でした。
「やってみなはれ」の精神で洋酒作りに命を捧げた。日本の洋酒文化を切り開いた男の人生。
サントリー創業者・鳥井信治郎の商魂は神農さんに手を合わせるから始まる。母から学んだ陰徳善事を忘れずひたすら歩む信治郎。
その志が子や孫に受け継がれていく。一代ではなし得ない心の伝承 “ 陰徳 ” が描かれていて心に沁み入ってきます。
鳥井信治郎のひたむきな日々が蘇る!
ええもんには、底力があるんや。品物も、人も底力や!
13歳、丁稚奉公先の薬店で洋酒と出会い、その美しい色に魅了された信治郎。
20歳、鳥井商店を開業。明治39年、屋号を寿屋洋酒店に変更、日々葡萄酒の味の研究に勤しむ中、赤玉ポートワインが完成する。
宣伝の重要性を知っていた信治郎は、新聞広告、赤玉楽劇座、ヌードポスターと攻勢に出る。
国産ウイスキー造りは周囲からは猛反対にあっていた。そんな時、関東大震災が起きる。瓦礫と化した東京を見て、信治郎は誓う。「わてが日本をええ国にするんや。ウイスキーを作ってみせる」。
竹鶴政孝(まっさん)を雇い、莫大な借金をして山崎蒸溜所を建設する――。
印象的なのは信治郎の周りには、現在でも立派繁栄している企業が集まってくる。
そして、『琥珀の夢』の琥珀とはウイスキーやワインのことではなかった!