8月の経営方針共有勉強会
今月のテーマ 《 忍・あきらめない 》
2018年08月01日
有賀泰治
1−1、不遇の時代にこそ、本物の負けじ魂が磨かれる。
「能忍」とは仏の別名、能(よ)く忍ぶ人こそ、わが使命を見失うことなく、自他共に幸福の大事を結実させる。
将棋棋士の大山康晴氏は十五世名人になった翌年、屈辱的な敗北を喫し、無冠に陥落した。良い時は群がるマスコミも、潮目が変わると手のひらを返す。そんな大山氏を、父が励ました。「自分の将棋を指すように心がけなさい」(『名棋士81傑 ちょいといい話』講談社)
そこからの巻き返しはすざましかった。2年のうちに、王将、九段、名人の三冠を奪取し、以後、名人戦13連覇などを果たした。さらに、ガンの闘病も勝ち超えるなど、生き方そのものが “ 不死鳥 ” さながらであった。
氏は、あの父の言葉を、どう受け止めたのだろう、“ 肩書きや立場ではなく、「将棋」という使命の舞台で、自分の信念を貫け ” と指針として、胸に刻んだように思えてならない。
人生、順調もあれば嵐もある。忘れてならないのは、いかに周囲の状況が変わろうと “ 自分は自分 ” であるということだ。何があろうと前を向いて、一つ一つ、誠実に努力を重ねる。いつか嵐がやんだ時、目覚ましい成長を遂げた自分を発見するだろう。
氏は色紙に揮毫(きごう)する際、「忍」とよく書いた。
1−2、自分を信じ、勝利を諦めない。見栄や虚栄などをかなぐり捨てた人間ほど、強いものはない。
もう一つ将棋棋士・大山康晴氏の逸話。氏は50歳で挫折した。18期保持していた名人を二回り年下の若手に奪われる。さらに十段戦、王将戦などで敗れ、ついに無冠に。
マスコミは「大山時代去る」と書き立て、呼称は “名人 ” から “ 大山さん” になった。しかし、氏は諦めていなかった。「五十歳の新人に候」と、再び立ち上がった。名人から陥落した年は58局、翌年は64局と自己最多の対局数を記録しつつ、上座に座る年下騎士に挑み続けた。その中で「受けの大山」といわれた指し方に積極性が加わり、通算優勝124回を数えた。(『大山康晴・人生に勝つ』)
2、時代の変化に即応し、新しい発想を生み出す力
昨年、小型ジェット期部門で世界一の納入数を記録した「ホンダジェット」。この機体には一人の青年技術者が考えた「航空機の歴史における革新」と評されるアイデアがある。それは、胴体のエンジンを “ 主翼の上 ” に置くこと。これまで、どの航空機メーカーも “ 空気の干渉抵抗が大きくなる ” と断念。ホンダの古参技術者も二の足を踏んだ。
だが30代の技術者は引かなかった。「今までにない技術で、新しい価値を持つ製品を売り出すべきです」。もともと「成功は99%の失敗に支えられた1%である」と挑戦を尊ぶ同社。役員も一緒になって物作りに取り組む社風もある。開発が始まると、若手もベテランも皆んなで試行錯誤を重ね、革新的な機体を完成させた。
放っておけば人も組織も “ これまで通り ” の易きに流れてしまう。それを打ち破り、新しい価値を創り出すのは精神論にとどまらず、絶えず変化し向上する姿勢を、個人の習慣、組織の文化にまで高めるしかない。
若い人に抱擁しつつ、大きな責任を託し、失敗した時にも励まし守る。大切なのは、その度量を持つ先輩でありたい。
3、断じて諦めない・・その強い心が一切の扉を開く重要な「鍵」
高校3年になり、大学進学を希望する息子に、父親は「駄目だ」の一点張り。当時、心臓を患う母の治療費がかさみ、タクシー運転手の父が働けど働けど家計は火の車だった。だが諦められず、泣いて訴えると父は言った。「うちみたいな貧乏人、弱い人のための医者になれ」。
息子とは、医者で作家の鎌田實さんである。(『一個人主義』KKベストセラーズ)
医者となった鎌田さんは地域医療に従事。難民キャンプで診察するために海外へも飛んだ。父の言葉通り、貧しい人や病める弱者に尽くす生き方を貫く。
逆境が当然と捉えれば、どんな試練も幸せの因子にしてみせると腹が決まってる。鎌田さんの自著の題名に「あきらめない」という言葉をよく使う。本人の信念を表すキーワードでもあろう。
4、人や環境がどうであれ、一喜一憂しないこと。昨日より今日、今日より明日へと、一歩一歩、粘り強く、自分を磨き続けた人に、人生の栄冠は輝く。
新年度がスタートして4ヶ月。社会に出た若者たちが、意欲的に挑戦する姿はすがすがしい。また一方で、社会の厳しい現実に直面し、戸惑いを感じている人もいるだろう。
福岡ソフトバンクホークの工藤監督が、ニュースの対談で、若き日の体験を語っていた。プロの世界に入った当初、先輩たちとの実力の差にがく然とした。だが、「やらされる練習から、やる練習へ」気持ちを切り替え、“ プロの野球 ” を体に染み込ませるように、猛練習を重ねていった。
地道に実力をつけ、開花させ、通算224勝、11度も日本一を経験する大投手になった。氏は言う。「誰にも無限の可能性がある」「努力することで一芸に秀でる、天才になり得る」
「うさぎとかめの」の寓話がある。
「かめ」が勝ったのは、別に相手が「うさぎ」だったからじゃない。すなわち、「うさぎ」は「かめ」見て走ったが、「かめ」はゴールを見つめて歩み抜いた。だから勝った。
5、心一つで地獄にも楽しみがある
南アフリカのでは4月27日が「自由の日」。
アバルトヘイト(人種隔離)が撤廃された同国で24年前のこの日、初めて全人種選挙が実施された。翌月、大統領に選出されたのがネルソン・マンデラ氏である。氏がロベン島に投獄されていた時、人種差別撤廃への動きが遅々と進まないことに、仲間からいらだちの声が上がった。だが氏は諭した。「我々の戦いは長期戦だ。長期で幅広い視野を持って行動すべきなのだ」
長期的視点・・・氏はよく、この言葉を使った。それは「忍耐」を意味していた。氏の獄中闘争は27年半に及んだ。なぜ絶え抜くことができたのか。氏は語っている。
「いつか再び土を踏みしめ、太陽の下を自由民として歩ける日が来ると、いつも私は信じていた」(『自由への長い道(下)』NHK出版)
忍耐とは、未来は必ず開けるとの希望を手放さず、力強く生き抜くことである。その希望は与えられるものではなく、自らが生み出すもの・・・氏の生き方は、そう教えてくれる。
6、自らが責任を担い立つ時に、本物の底力を出すことができる。死力を尽くして新しい道を開いてこそと、決定打は自分が!との気概で挑みたい。
松下電器産業(現・パナソニック)には製品の出来を調べる「検査本部」があった。ある時期、不良品の発生率が高まったため、創業者の松下幸之助氏が、検査本部の責任者に説明を求めた。
それによると、2年前までは完成品を検査していたが、生産体制を整えてからだと損害が大きくなってしまうなどの理由で、設計、試作の段階での検査に切り替えた。これを聞いた氏は言う。“ その方法が不良品を生む原因になっている ”
本来、各分野を担当する事業部が最後まで責任を持って、「命がけ」で物作りをしなければならない。しかし、途中で検査本部が「お墨付き」を与えることによって油断が生じる。それが不良品発生の原因であると諭したのである。(佐藤悌二郎著『図解 松下幸之助の行動学』東洋新聞社)
人を頼ると、知らないうちに “ 心の隙 ” が生まれてしまう。逆に、自分がすべての責任を持つと決めれば、新たな視野が開け、思ってもみなかったような力が湧いてくるものだ。
7、いかなる難事業も、その成否は、大情熱を燃やした先駆者と共に、同じ心を持つ後継者がいるかどうかで決まる
日本三大疎水の一つである福島県郡山市の安積疎水(あさか)。この開拓の物語が2016年、文化庁の「日本遺産」に認定された。山脈に隔てられた湖と平野を水路でつなぐという、明治政府初の国営農業水利事業である。
推進したのは “ 維新三傑 ” の一人・大久保利通。窮乏した武士の救済と近代化のモデルを安積開拓に託した。しかし彼は道半ばで凶刃に倒れ、計画は頓挫しかける。
この時、当時の福岡県令・山吉盛典(もりすけ)が立ち上がった。安積開拓を「内国開墾の第一着手にして、則ち他日の標準雛形とも称すべし」と語った大久保の言々句々を『済世(さいせい)遺言(いごん)』としてまとめ、彼の意思を説いて回った。その後、旧士族の入植者をはじめ、のべ85万人が開拓に加わり、構想から11年後の明治15年に完成。不毛と言われた土地には多様な食文化と新産業が興った。
歴史に「もし」は禁物だが、山吉県令お尽力がなければ現在の郡山の発展はなかったかもしれない。
三大疎水・ 安積疏水/ 那須疏水/ 琵琶湖疏水
維新三傑 ・木戸孝允/ 西郷隆盛 /大久保利通
8、「水のごとく申すは・いつも・たいせず信ずるなり」と仏教にある。水のごとく清らかに、たゆまず挑戦を貫く人には「勝利」が必ず待っている。
2015年世界遺産に登録された鹿児島市の「関吉疎水溝」。薩摩藩による日本初の本格的様式工場「集成館」の動力を担う水車に、水を送り込むためのものだった。
石造りの水路に沿って歩くと、水の流れがゆっくりで、水面を流れている一葉をすぐに追い越してしまう。疎水の長さ約7kmに対し、始点と終点の高低差は、わずか約8mといわれる。
しかし、人の足より遅い水も、流れ続けることで、工場も動かす力になった。その事実と、それを可能にした往時の人々の仕事に、深い思いを抱く。
9、人生の戦いにあっても「ここが勝負」という急所がある。それを見抜き、強気かつ迅速な行動を貫いた人が、最後の勝者となる。
史上最年少で将棋のプロ棋士になった藤井聡太七段が、デビューから29連勝を果たし、30年ぶりに歴代最多の連勝記録を塗り替えた。(2017年6月26日)将棋ファンはもとより、若き新星に日本中が湧いた。
将棋は日本が誇る文化で、愛好者が多い。将棋に学ぶ “勝利の鉄則 ” を聞いたことがある。
「攻め合いは、ひるんだら負け」激戦の時こそ強気で攻めぬくこと。
「攻めるは守りなり」 攻撃こそ最大の防御である。
「終盤はスピード」 最後の最後で勝負を決するのはスピードである。
日本将棋連盟会長の佐藤康光九段は、藤井七段の特徴の一つに「終盤の強さ」を挙げる。最終盤に読み切ってから、勝利へと突き進むまでのスピードに優れ、最短距離で勝利をつかむ力があると評価した。(NHK WEB特集)
何事も、競り勝つか、押し込まれるかのせめぎ合い。「ここが勝負」そこを見抜いて行動あるのみ。
10、「今」「ここから」起きている出来事ほかならない。「今」「ここから」自他共の幸福へ行動を起こすため。
今年はチャップリン没後41年。「喜劇王」は完璧主義者であったとも知られる。ヒトラーを痛烈に皮肉った名作「独裁者」のラスト、演説シーンには1,000ページもの草稿類が現存するという。
もとの脚本では、チャップリン扮する「理髪師」がラジオを通じ各国に平和を訴える。すると、ドイツ軍は行進をやめ、スペインでは敵味方が抱き合う・・・。
演説と、各国の様子が交互に描かれていた。しかし、チャップリンは推敲を重ねる中で原案を捨てた。演説のみにし “ 聞く側 ” を登場させなかった。
日本チャップリン協会の太野裕之会長は、この演説について、聴衆とは「映画を見ている私たち」と分析する。そして、「私たち」が「登場人物として現実で行動を起こす」ことで、同作は映画の枠を超え、いつの世にも人々に開かれていくと(『チャップリン 作品とその生涯』中公文庫)
11、今月の言葉
どんな逆境であろうと……
たとえどんな逆境にあろうと、そこが大いなる希望への出発点となり得る ・・・・・五木寛之(作家)
ユニクロ創業者の信念
いまの自分の境遇と夢に隔たりはあったとしても、いつかは実現できると信じ、 自分がそういう世界を実現したいと想うこと
・・・・・柳井正(ファーストリテイリング会長兼社長)
ミスをする人
「人間だからミスはするもんだよ」と言う人がいますが、 そう思ってやる人は必ずミスをします。 百回やっても、千回やっても絶対俺はちゃんとできる、 という強い気持ちを持って臨んで初めて「プロ」と言えるんです
・・・・・王貞治(福岡ソフトバンクホークス球団会長)
ピンチはあったほうがいい
「ウェルカムピンチ」 これは「ピンチはチャンスだ」の最上級。ピンチはあったほうがいいんです
・・・・・五十嵐裕子(映画「チア☆ダン」のモデル/福井県立福井商業高等学校教諭)
必ず道は開ける
世間のお役に立つ仕事をしていれば、必ず道は開ける
・・・・・木村秋則(りんご農家)
刀折れ矢尽きて倒れても
一回や二回、刀折れ矢尽きて倒れても屈せずに挑み続ける
・・・・・中西輝政(京都大学名誉教授)
必ず道はひらける
辛くとも、生きようとする時、必ず道はひらけるはずなのだ
・・・・・三浦綾子(作家)
苦しい過去は成長の糧
苦しい過去を自分の成長の糧になる出来事だったと考え、 いま、この瞬間から新しいスタートを切る
・・・・・緒方大助(らでぃっしゅぼーや創業者)
悩まない人は成長しない
悩まない人は成長しない。 物事をイージーに考える人はリーダーの役割を果たせない
・・・・・新浪剛史(サントリーホールディングス社長)
失敗は財産
失敗は財産。一歩を踏み出す先に成長がある
・・・・・吉田忠裕 (YKK会長CEO)
悔しさと成功
4000本のヒットを打つために8000回以上は悔しい思いをしてきている。 その苦しみと自分なりに向き合ってきた。誇れるとしたらそこじゃないかと思います
・・・・・イチロー(メジャーリーガー)
諦めてはいけない
人生も仕事も、大事なことは諦めないこと
・・・・・松田次泰(刀匠)
謝念
人間関係―与えられた人と人との縁―をよく噛みしめたら、必ずやそこには謝念がわいてくる。これこの世を幸せに生きる最大の秘訣といってよい
・・・・・森信三(哲学者/教育者)
誰にも負けない
とにかく真剣に、誰にも負けない努力をしている人を、神様が見捨てるはずがない
・・・・・稲盛和夫(京セラ名誉会長)
試練を乗り越える力
人間の苦しみのあるところには、それを乗り越える力もまた与えられている
・・・・・鈴木秀子(文学博士)
耐え忍ぶ
嫌なことから逃げないで、耐え忍ぶ。じーっと耐え忍んでいくと、そこに人間の根が生えてくる
・・・・・『小さな経営論』
耐え忍ぶ
理不尽なことを耐え忍ぶ中で、自分という人間がつくられていく
・・・・・河田勝彦(オーボンヴュータンオーナーシェフ)
困難
困難に挫ける人もいれば、困難で成長する人もいる
・・・・・ネルソン・マンデラ(南ア元大統領)
忍耐
長時間の忍耐を潜り抜けてこないことには本物にはなり得ない
・・・・・亀山郁夫(東京外国語大学学長/『カラマーゾフの兄弟』訳者)
屈せず
リーダーは一回や二回、刀折れ矢尽きて倒れることは覚悟の上で、それでも屈せずに挑み続けなくてはいけない
・;・・・中西輝政(京都大学名誉教授)