11月の経営方針共有勉強会
今月は月初所用があり勉強会を中旬に開催。
テーマ《 六つの精進 》
京セラの稲盛和夫氏の書籍から抜粋して勉強会しました。
11月はその中の『誰にも負けない努力をする』を取り上げてみました。
「六つの精進」がすばらしい人生をもたらす
・・・・・稲盛和夫
幸せな人生を生きることは、決して難しいことではありません。この「六つの精進」を守りさえすれば、むしろやさしいことではないかと、私は思います。
昨今、経済状況が厳しい様相を呈しています。日本経済はいうに及ばず、世界経済にも厳しい状況が押し寄せています。今後、さらに経営環境は厳しさを増してくるのではないかと思い大変心配しています。
私自身が直接の経営体験を通じて考えたこと、感じたこと、こうでなければならないと思ったことを、おはなししてみたいと思っています。
「六つの精進」は、人間としてすばらしい人生を生きていくため、企業経営をしていくうえでの必要最低限の条件ではないかと思います。
これを毎日実践し続けていけば、自分の能力以上のすばらしい人生が拓けていくのではないかと思いますし、事実、私自身はそのようにして人生を歩んで参りました。
すばらしい人生、幸福な人生、平和な人生を送りたいと思うならば、この「六つの精進」を忠実に守ることが大切です。
幸せな人生を生きることは、決して難しい事ではありません。この「六つの精進」を守りさえすれば、むしろやさしいことではないかと、私は思います。
一、誰にも負けない努力をする。
二、謙虚にして驕らず。
三、反省のある毎日を送る。
四、生きていることに感謝する。
五、善行、利他行を積む。
六、感情的な悩みをしない。
1、誰にも負けない努力をする。
すばらしい人生を生きるにせよ、すばらしい企業経営をするにせよ、誰にも負けない努力すること、一生懸命に働くことが必要です。このことを除いては、人生の成功も企業経営の成功もありえないのです。
⑴ 一生懸命に働くことが幸せな人生の条件
① 幸せな人生
「六つの精進」の最初は、「誰にも負けない努力をする」です。言葉を言いかえれば、「毎日一生懸命に働く」ことがもっとも大事なことなのです。また、幸せな人生、すばらしい人生を生きるためにも、毎日真剣に働くことが第一条件です。このことを除いては、人生の成功もありえないのです。
一生懸命に働くことを忌み嫌い、少しでも楽をしよう、自己中心の快楽のみを追うのならば、すばらしい人生を得ることはできません。
端的に言えば、一生懸命に働きさえすれば、人生は順調に好転するはずです。
これから、厳しい不況が襲ってくるかもしれませんが、どんな不況がこようとも、どんな時代になろうとも、一生懸命に働きさえすれば、十分にそれらの苦難を乗り切っていけるはずです。
② 企業経営をするにも
経営戦略、戦術が大事だといわれますが、一生懸命に全社員が働くということ以外に成功する道はありません。
私は27歳で京セラをつくっていただき、以来経営の道へと入ったわけですが、経営のケの字も知らなかったために、会社をつぶしてはいけない、私を支援して会社をつくっていただいた方々に迷惑をかけてはならないという一念だけで、必死になって働いてきました。毎日朝早くから夜は11時過ぎ、大抵は1時、2時まで働いていました。それを連日のように繰り返し、努力を重ねつづけてきたわけです。創業以来、一生懸命に働き通してまいりました。そのことが今日の京セラをつくっているということを考えても、一生懸命に働くことが成功につながるということは、間違いないことだと思います。一生懸命働くということ以上の経営のノウハウはないのです。
③ 立派な業績を上げた方々
企業経営者に限らず、学者や芸術家・・・あらゆる分野で業績を残した方々はみな、ひたむきに一生懸命に働いて努力を重ねてこられた人ばかりです。
思い出すのは、終戦後、満州から裸一貫で鹿児島に戻り、野菜の行商をしていた私の母方のおじ、おばのことです。
おじは戦前の小学校を出ただけの人でしたが、毎日野菜を仕入れては、大八車を引いて行商をしていました。口の悪い親戚の人たちは、そのおじのことを「あの人は学問もないし、知恵も足りないから、暑い日でも大きな大八車を引いて、汗水をながしながら行商しているんだよ」と軽蔑したようにいっていました。
身体の小さなおじが、自分よりはるかに大きな大八車に野菜を積み、暑い日も寒い日も行商をしているのを、幼い私はよく見ていました。
おそらくおじは、経営とか、経理とか、そういうものはまったく知らなかったと思います。しかし、ただ一生懸命に働くということで、やがて大きな八百屋を経営するようになり、晩年まですばらしい経営を続けていきました。
学問がなかろうと、黙々と一生懸命に働くということが、すばらしい結果を招いていくのだということを、私は子ども心に強く思いました。
⑵ 大自然の動植物はみな懸命に生きている。
① 私がなぜ「一生懸命に働く」ということを強調するのかというと、この自然界はすべて一生懸命に生きるということが前提になっているからです。
私たち人間は、少し人生が順調だったり、会社がうまくいくようになると、楽をしようという不埒(ふらち)な考えをしますが、自然界にはそういうことは決してありません。自然界に生きている動植物はみな、必死に、一生懸命生きています。そういう姿を見ても、毎日毎日をと真剣に、一生懸命に働くということが我々人間にとっても最低限必要なことではないかと思うのです。
自然界では、過酷な環境の中でも、種が落ちれば芽を出し、葉を広げ、炭酸同化作用(光合成)を精いっぱい行い、そして花を咲かせ実を結び、短い一生を終えます。石垣の隙間であっても、雑草が芽を出し、花をつけるのを、我々はよく目にします。
ある時知ったのですが、過酷な熱砂の砂漠にも、年に何回かは雨が降るそうです。すると、たちまち芽を出し、葉を広げ、花を咲かせて実を結び、わずか数週間で枯れていく植物があります。彼らは砂漠の中で生き、ほんのわずかな雨が降ったときに、子孫を残すために花を咲かせ、実を結び、その実を地表へと落とすのです。
そしてまた来年、いつの日にか雨が降ったとき、その種が発芽することができるように備える。こうして、わずか数週間を精一杯一生懸命に生き抜き、その一生を終えていくといいます。
② 創業当時の私は、そのような自然の仕組みなど知りませんでしたが、努力をしなければ会社の経営などうまくいかないだろうと恐怖心を抱き、一生懸命に働いてきました。恐怖心から一生懸命頑張ってきたわけですが、 今日振り返ってみて、それは決して間違いではなかったと思っています。
どんな不況がこようとも、どんな厳しい環境がこようとも、人一倍努力をしていくことが、人間としても経営者としても最低条件だということを、私はいまも固く信じています。
いろんな人に「誰にも負けない努力をしていますか」「誰にも負けないような働き方をしていますか」と聞くようにしています。
一生懸命にはたらく、誰にも負けない努力をするのは、この世に生きるものの当然の義務であり、その義務から逃れることはできないと、私はおもいます。
⑶仕事が好きになれば努力は苦労でなくなる。
一生懸命に働くというのは、苦しいことです。その苦しいことを毎日続けていくためには、いま自分がやっている仕事を好きになることが必要です。好きなことであれば、いくらでも頑張ることができます。
いまやっている仕事に惚れ込んでしまえば、はたから見て「あんなに苦労して、あんなに頑張ってたいへんだろう」といわれることも、本人は好きでやっているのですから、平気なはずなんです。
私は若いころからそういうふうに思って、自分がしている仕事を好きになろうと努力しました。
私は大学を出たものの、どこにも就職できずに、恩師のお世話で焼き物の会社に入れていただきました。しかし私は、焼き物も世界が、もともとあまり好きではありませんでしたし、おもしろくも感じていませんでした。しかも、入れていただいたところは、毎月の給与日に給与が間に合わず、私は会社に対して不満を持っていました。
しかし、そのように不満たらたらで研究開発をしても、うまくいくはずはありません。ですから私は、この仕事を好きになろうと決意しました。仕事を好きにならなければ、打ち込んで研究もできないと思ったからです。
好きな仕事についている人は結構です。しかし、好きな仕事につけるという幸運な人は、そうはいません。たいていは生活のためにその仕事をしているという人がほとんどだと思います。ならば、その仕事が好きになる努力をするということが必要です。
好きになる努力をして、本当に好きになったら、あとはしめたものです。誰にも負けない努力が簡単にできるようになるはずです。「あんなに朝早くから夜遅くまで頑張って、体を壊しやしないだろうか」とみんなが思うようなことでも、平気でやってのけることができます。
成功するにはいろいろな方法があるといわれていますが、「一生懸命に働く」ということを除いて、成功はありえません。厳しい経営環境のもと、さらに厳しい不景気がくるかもしれないという中で生き残っていくには、とくにこの「一生懸命に働く」ことが必要ではないかと思います。
⑷ 努力を重ねれば創意工夫が生まれる。
一生懸命に働く、まじめに仕事に打ち込んでいくということは、もう一つ効果があります。毎日、自分の仕事に打ち込み、一生懸命に仕事をしていけば、無駄にただ漠然と仕事をするということはなくなるはずです。
自分の仕事を好きになり、一生懸命に仕事をすれば、少しでも仕事を進めていきたいと思い、もっとよい方法はないだろうか、もっと効率が上がる方法はないだろうかと、誰でも考えるようになります。
一生懸命に働きながら、もっと良い方法で仕事を進めたいと考えていけば、毎日が創意工夫の連続になっていきます。今日よりは明日、明日よりは明後日と、自分で工夫して仕事をしていくようになるわけです。
そして、仕事に打ち込みながら、そういう工夫をすることに考えをめぐらせていくならば、すばらしい思いつき、ヒントが得られるようになります。
私は決して能力のある人間だと思いませんでしたが、もっとよい方法で仕事を進めることはできないだろうか、販売を増やしていくためにもっとよい売り方はないだろうか、もっとよい製造の方法はないだろうかと考えていました。
それが、自分でも想像できないような、すばらしい進歩発展をもたらしてくれたのです。京セラが新しい製品を開発できたのも、新しい市場を開拓することができたのも、そういう創意工夫を常に重ねてきた結果です。
生半可なグウタラな仕事をしながら、何かよい方法はないだろうかと思っても、すばらしい発想というものは出てきません。一生懸命に苦労し、行き詰まり、必死になって考えているから、神様がそのひたむきな努力をみて、新しいヒントを与えてくれる。私はそういうふうに思っています。
真摯に、まじめに、一途な努力を続け、行き詰まっても諦めずに一生懸命に考えている。そのひたむきな姿を見て、神様はボンクラな私に対しても、新しい知恵、ひらめき、啓示を与えてくれたのではないかと思っています。
自分では得られないようなすばらしい思いつき、知恵を与えてくれるのは、一生懸命に働いている結果だと思うのです。
世の中で偉大な発明発見をした人、新製品を開発したり、新技術を開発した人たちの生きざまをみると、その全ての人が誰にも負けない努力をし、創意工夫を重ね、すばらしいひらめきを得ています。ナマクラな仕事をして成功した人、すばらしい発明発見をした人は一人もいません。
そういう点でも、一生懸命誰にも負けない努力をすることは、仕事にも人生にもたいへんなプラスをもたらしてくれるのだと思います。
⑸一途に仕事に励むことが魂の修行になる。
朝早くから夜遅くまで一生懸命に働けば、暇がありません。「小人(しょうじん)閑居(かんきょ)して不善を為(な)す」というように、人間というものは、暇があればろくなことを考えないし、ろくなことをしません。忙しいということと、一生懸命働くということは、よけいなことを考える暇がないことを意味します。
禅宗のお坊さんや修験道の修経者は、荒業をしながら自分の魂を磨いていきます。心を一点に集中させ、雑念妄念が湧いてくる間がないくらいに修行をして、心を整理し、心を磨き、純粋な素晴らしい人間性、人格を形成していきます。
一生懸命に働けば、そうした修行の過程と同じように雑念妄念を浮かべる暇がありません。つまり、一生懸命に働くということは、人間の魂を磨くことにもつながっていくわけです。
私はみなさんに「魂を磨いていけば、そこには利他の心、善き心、思いやりのあるやさしい慈悲の心が芽生えてくる」と説いています。そういう善き思いを心に抱き、「世のため人のためになるような善きことを思い、善きことを実行すれば、必ず運は良い方向へと変わっていく」
会社の仕事にただ一途に打ち込んで働くだけでも、自分の心を磨き、美しい心をつくっていくことになりわけです。美しい心ができさえすれば、自然に善きことを思い、善きことを実行するようになります。自分にどのような運命が授かっているかはわかりませんが、そうした思い、実践は運命をさらによい方向へと変えていく力になってきています。
私は京セラという小さな会社を立ち上げ今日まで必死に仕事をやりながら第二電電(現KDDI)を立ち上げ発展させつづけ、その中の体験してきたことをみなさんに話し、共有しようとしてきました。
つまり、空理空論ではなく、まさに経営の実学をみなさんに示してきました最大のものは、ただ「一生懸命に働く」ということなのです。
この「六つ精進」の最初にある「誰にも負けない努力をする」、つまり「一生懸命に働く」ということは、経営をするにしても、立派な人生を生きていくにしても、必要不可欠なものなのです。
(2008年7月17日「盛和塾全国大会」での講話のもとに編纂を加えた内容。)