聖母マリアの家
使徒ヨハネがイエスの母マリアとともにこの地に滞在したといわれ、聖母マリアは、この地から昇天したとの伝承が残っている。
街を見下ろす丘の道沿いに黄金色の聖母マリア像ある。
日本語の案内には
「この地エフェソスは、イエス・キリストの母・聖母マリアが最後にお住まいになった場所と伝えられている。
福音書・ヨハネ伝によれば、十字架に架けられたイエスは、傍らにいた弟子・ヨハネに母・マリアを託したため、ヨハネは母マリアとともに暮らしたという。その後、ヨハネはエフェソス方面の布教を担当したとされる(ヨハネ黙示録)から、母マリアもヨハネとともにエフェソスの移り住んだ可能性がある」(大意)
とある。
資料によれば、一人の神秘的なドイツの尼僧・カタリナ・エメリッヒ(1774–1824)が見たという幻影によって、この聖地が発見され、小聖堂が造られたという。
エメリッヒは28歳で修道院に入り、ほとんど食もとらずほとんどを横になったまま過ごしたが、キリストの聖痕から血を流し、空中浮揚や透視・読心といった超能力を持っていたといわれ、その中で語った、
「(エフェソスの)マリアの家は、丘の上、ラバの通れる道の先に建っていて、エーゲ海とサモス島が見渡せる・・・」
との言が、聖地発見の発端だという。
1891年、彼女の言をもとにエフェソス南手の山地を発掘調査したところ、彼女の言と全く同じ場所に、1世紀と4世紀の壁の跡が発見され、7世紀頃には聖堂が建て直されたことも明らかになり、そこに建てられたのが聖母マリアの家である。
その後、1967年、ローマ教皇パウロ6世がこの家を訪れ、聖母に祈りを捧げたことによって、それまで地方の一巡礼地でしかなかったものが、ローマ法王庁公認の聖地へと格上げされている。
聖母マリアの家
エフェソスの南よりの丘の上に、「聖母マリアの家」というキリスト教の聖地・小聖堂が建っている。しかし、この地にマリアが住んでいたという証拠はない。
扁平なドーム状の屋根に覆われた石積の小さな聖堂。
内部はNOピクチャー
入口のドームをくぐり玄関の間に入ると、洞窟を模したような内陣奥に設けられた壁龕の中から、王冠をかぶりマントをまとった聖母が両手を広げて迎えてくれる。
祭壇の前には燈明が揺らぎ香華が捧げられているが、その造りといい内部装飾といい簡素なもので、今の建物は1951年再建された建物。
願い事が叶うという聖水の泉が3カ所ある。清水寺の「音羽の滝」とにている。
願い事を書いた紙が掛けられている。これも日本のおみくじをかけるのと同じよう。